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ジンギスカンの歴史をシリーズでご紹介♪第4回「全国区となったジンギスカン」
Posted by サントリー北海道 on 2016年5月11日(水) 12:13
ベル食品・公認ワインの「エル グリル」が、北海道のジンギスカンの歴史とベル食品の歩みをシリーズで紹介する特別企画。
第3回目では、「成吉思汗たれ」がヒットし、ジンギスカンが北海道の食文化へ発展した頃をご紹介しました。
ジンギスカンとベル食品の歴史を辿る連載。
最終回の第4回は、北海道の食文化として定着したジンギスカンが全国的な広がりを見せるようになった現在までをご紹介します。
■ジンギスカンの「鍋」
ジンギスカンの調理に欠かせないのが、中央の盛り上がった鋳物製の専用鍋。
もともとは網や鉄板で焼いていたジンギスカンですが、第二次大戦後からこの専用鍋が使われるようになったと言われています。
厚い鋳物製の鍋は、保温力があり、たくさんの肉を置いても一気に冷めず、屋外料理として大勢で食べることが多いジンギスカンにぴったり。
また、盛り上がった中央部分に肉を置くことで、余分な脂が流れて香ばしく焼くことができたり、野菜を鍋の端で焼くことで、肉に野菜から出る水分が届かないなど、実によく考えられた形をしているんですよ。
とてもよくできた鍋ですが、この鍋の考案者は諸説あって特定はできないようです。
■たれ付け派?味付け派?
ジンギスカンを焼いてからたれに付けて食べるタイプと、たれに肉を漬け込むタイプに分かれますが、皆さんはどちらのタイプですか?
各家庭、育った地域などによって違うので、はっきりとした地域区分は難しいものの、札幌や函館、釧路などでは前者が好まれ、旭川や滝川、帯広などは後者が多いのだとか。
一方で、「松尾ジンギスカン」をはじめとした有名店では肉をたれに漬け込むことが多いのですが、昨今の「生ラム」ブームの影響で、焼いてからたれに付けて食べるタイプのジンギスカン専門店も増えてきています。
■ヘルシーなジンギスカンに注目
2004年(平成16年)頃から、全国的なジンギスカンブームが訪れます。
きっかけは、アメリカで起きたBSE問題。アメリカ産牛肉が輸入禁止となり、家庭ではもちろん、焼肉や牛丼などの外食産業にも大きな影響を及ぼす中、羊肉に注目が集まることになりました。
当時、チルドなど輸送技術の発達で新鮮な羊肉、特に「生ラム」などのくせの少ないものが手に入りやすくなっていました。
さらに、羊肉は低コレステロールで、コレステロール値を下げる不飽和脂肪酸が多く、アミノ酸の一種のカルニチンやビタミンB群、鉄分などの豊富な栄養成分が含まれていることが注目され、全国でジンギスカンブームが巻き起こります。
2005年(平成17年)末には東京都内だけでも200店以上のジンギスカン専門店が登場し、全盛を極めます。
1年ほどでブームは終息し、ジンギスカン店の数は半分以下にはなりましたが、ブーム前に比べればその数は増えています。
ブームをきっかけに、新鮮な羊肉が流通。ジンギスカン独特の「臭み」に対して苦手意識を持つ人が少なくなり、都内のスーパーマーケットにも「ラム」が置かれるようになるなど、ジンギスカンは日本全国で食べられるようになっていきました。
逆に、住宅環境の変化もあり、北海道の家庭では、ジンギスカンを食べることが少なくなってきています。
相変わらず屋外での人気はあるものの、”一家に一つ”あったジンギスカン鍋も、今では少なくなっているようです。
それでも、道産子にとってジンギスカンは、流行に左右されない、郷土料理であることは変わりありません。
4回にわたり、ジンギスカンの歴史をご紹介してきたシリーズ。皆さん、お楽しみいただけましたか?
先人の試行錯誤の上、世代を超えて愛される郷土料理となったジンギスカンは、北海道の誇れる食文化のひとつだと改めて実感しました。
そして、そこにベル食品の「成吉思汗たれ」が大きく関わっていたんですね。
そんな「成吉思汗たれ」で有名なベル食品の公認ワインが「エル グリル」。
“グリル料理に合うワイン”として発売された「エル グリル」は、ジンギスカンにもぴったり!
ぜひ、ジンギスカンと合せて楽しんでくださいね。
そんな「成吉思汗たれ」は、発売60周年を記念し、レシピコンテストを開催しました!
「成吉思汗たれ」を使ったオリジナルレシピを募集し、5月31日までランキング投票受付中ですので、ぜひご覧くださいませ。
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お花見などのイベントでジンギスカンを楽しむ機会が増えるこれからの季節。
ぜひ、ベル食品の「成吉思汗たれ」と「エル グリル」をセットでご用意くださいね♪
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ジンギスカンの歴史をシリーズでご紹介♪第3回「道産子に欠かせない食文化へ」
Posted by サントリー北海道 on 2016年5月11日(水) 12:12
ベル食品・公認ワインの「エル グリル」が、北海道のジンギスカンの歴史とベル食品の歩みをシリーズで紹介する特別企画。
第1回目ではジンギスカンの始まりを、第2回目はジンギスカンが北海道の郷土料理となり、ベル食品「成吉思汗たれ」の発売当時を振り返りました。
第3回は、「成吉思汗たれ」が大ヒット商品へ成長し、道産子にとって欠かせない食文化へと発展するまでをご紹介します。
■成吉思汗たれ
ベル食品が「成吉思汗たれ」を発売した当初、売れ行きが伸び悩んだのは、家庭でジンギスカンを食べる習慣がまだなかったことが大きかったようです。
そこで、1958年(昭和33年)ベル食品の社長に就任した山本豊蔵氏が、「成吉思汗たれ」1箱とジンギスカン特製鍋をセットで提案。
このアイデアが大好評で、精肉店で羊肉を買ってくれたお客さまにその特製鍋を貸し出していたのですが、回収が間に合わないほどだったんだとか。
こうして、「成吉思汗たれ」は少しずつ売り上げを伸ばしていきました。
また、このようなアイデアに加え、ベル食品の地道な営業努力も功を奏しました。
栄養士を講師に、問屋を招いた講習会を道内各地で開き、ジンギスカンという料理を広めることに時間と手間、お金をかけていたのだそう。
当時、ベル食品の工場では、ほとんどが手作業で「成吉思汗たれ」を製造していました。
ニンニクやリンゴ、タマネギを摺り下ろし、「ニンニクを摺った日は臭いが身体に染み着いてバスに乗れなかった」「タマネギの皮むきも大変な作業で、涙が止まらなかった」などのエピソードが残っているそうです。
こうしたたくさんの努力のおかげで、「成吉思汗たれ」は大ヒット商品へと成長したんですね。
また、北海道観光ブームがおこり、”ビールとジンギスカン”、”大通公園とトウキビワゴン”など北海道のイメージが定着するのも、ちょうどこの頃。
こうしたブームがジンギスカンの浸透に拍車をかけていきました。
■花見でジンギスカン
昭和30年代後半に入ると、ジンギスカンは道産子にとって欠かせない食文化へと広がります。
中でも花見やキャンプなどの屋外行事では、ジンギスカンの煙と臭いが必ずと言っていいほど立ちこめるようになりました。
さらに、小・中学校で行われる炊事遠足でもカレーライス、豚汁と並んでジンギスカンが定番料理として作られるようになり、ジンギスカン鍋は“一家に一つ”という時代になっていきます。
ジンギスカンが北海道の郷土料理として定着するのは、昭和20年代後半から30年代。
当時、簡単に安く手に入った「羊肉」や観光ブームなどの影響はもちろんありますが、ベル食品が「成吉思汗たれ」を発売し、それを売るためにあらゆる努力を重ねたことが大きく影響しているんですね。
道民には常識の”お花見にジンギスカン”という組み合わせができたのは、この頃だったんですね!
ベル食品の「成吉思汗たれ」の大ヒットが、ジンギスカンが北海道の郷土料理として定着する要因のひとつだったことも興味深いエピソードですね。
そんな「成吉思汗たれ」で有名なベル食品の公認ワインが「エル グリル」。
“グリル料理に合うワイン”として発売された「エル グリル」は、ジンギスカンにもぴったり! ぜひ、ジンギスカンと合せて楽しんでくださいね。
そんな「成吉思汗たれ」は、発売60周年を記念し、レシピコンテストを開催しました!
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次回は最終回。北海道の食文化として定着したジンギスカンが、全国的な広がりを見せるようになった現在までをご紹介します。
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ジンギスカンの歴史をシリーズでご紹介♪第1回「ジンギスカンの始まり」
Posted by サントリー北海道 on 2016年4月21日(木) 11:43
みなさん、ジンギスカンはお好きですか?
3月22日に発売されたブラックチェリーやプラムのような黒い果実の香りが特長の「エル グリル」は、フレッシュな果実味とほどよいタンニンを持つ赤ワインで、グリルしたお肉と相性抜群です。
もちろん、ジンギスカンにもぴったりで、道民から愛される「成吉思汗たれ」のベル食品・公認ワインにも選ばれています!
道民なら誰もが知っているベル食品の「成吉思汗たれ」は、今年で発売60周年!!
そこで、これから4回にわたり、北海道のジンギスカンの歴史とベル食品の歩みをご紹介する「成吉思汗物語」をお届けします!
第1回は、北海道でジンギスカンが食べられ始めた昭和初期までをご紹介します。
■羊毛の生産のために輸入
ジンギスカンの歴史は、明治時代にさかのぼります。欧米文化が流入した日本では、毛織物の需要が増え、羊毛の国内生産を目的に、政府は「緬羊」の飼育に力を入れ始めます。大正時代に入ると、第一次世界大戦がはじまり、羊毛の輸入がストップ。1918年(大正7年)には緬羊の100万頭増殖計画を実施し、1935年(昭和10年)には中華事変、第二次世界大戦などによる軍需羊毛の自給のために、緬羊飼育が国策として奨励されました。
ちなみに、食用を始めたのは大正時代。当時、中国大陸に進出していた日本人が蒙古(モンゴル)民族の調理方法を参考にして、日本人の口に合う調理法として考えだされたのが、「ジンギスカン」だと言われているのだそうですよ。
北海道では、毛肉兼用のコリデール種を飼育していたことから、羊肉の普及に向けた取り組みを月寒種羊場と滝川種羊場で行ったことが記録に残っていますが、羊肉特有の臭みなどが原因してか、羊食は進みませんでした。
■北海道とジンギスカン
北海道では、昭和初期から羊の飼育が盛んに行われていました。滝川種羊場長を務めた山田喜平氏とマサ夫人がジンギスカンなどの羊肉料理の普及に尽力した人物として知られていて、昭和10年代から農業関係雑誌などで羊肉の調理法などを紹介していました。
この頃の食べ方は、ゴマ油を塗った金網を七輪にかけて、炭火の中には松の枝をまぜ、燻すことで臭みを消していたんだとか。山田夫妻は、焼き物、揚げ物、煮物など約30種類もの調理法を詳細に説明し、普及を図っていたそうです。
1936年(昭和11年)1月、狸小路6丁目の飲食店「横綱」で行われたジンギスカンの試食会でも山田夫妻が肉と鍋を持参し、たれの作り方や調理法を教えましたが、羊肉独特の臭みやたれに使われたニンニクの臭いが強すぎたこともあり、不評に終わってしまいました。
そのころ種羊場では、緬羊の飼育はもちろん、近隣の農民に羊の飼育方法を教えていて、農家では、豚などとともに、収入の手段として数頭の羊を飼う習慣が少しずつ広まっていきました。終戦後に、北海道でジンギスカンが違和感なく受け入れられたのは、農家で羊肉を手に入れやすく、食べなれていたという背景があったから、と言われています。
今となっては北海道の郷土料理として知られるジンギスカンも、広く楽しまれるには試行錯誤があったんですね。
次回は、ジンギスカンが北海道の郷土料理として浸透していくまでをご紹介します。
次回の連載もお楽しみに!
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