とことん!雪まつり -さっぽろ雪まつり公式ブログ-
さっぽろ雪まつりの魅力や舞台裏を実行委員会スタッフが紹介する公式ブログ◆第70回さっぽろ雪まつりは2019年1月31日(木)~2月11日(月・祝)に開催します。 なお、ブログの内容に関係のないコメントは、予告なく削除させていただく場合があります。
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つどーむ会場!!
Posted by さっぽろ雪まつり実行委員会 on 2008年12月19日(金) 14:46
今年新たに会場に加わった
つどーむ会場は体験型会場。
その模型は・・・
まずは、全長約80mのチューブすべり台
幼児向けの氷のすべり台
もうひとつはわくわくスライダー
どれも楽しそう!!
夢が広がるつどーむ会場。
完成が楽しみです♪
さっぽろ雪まつりつどーむ会場には一般用駐車場はありません。
お車での来場はできませんので、公共交通機関及びシャトルバスをご利用願います。
会場周辺へのお車の送迎は、道路混雑の恐れがありますので、ご遠慮下さい。
大通10丁目会場は「STV広場」&「市民の広場」
Posted by さっぽろ雪まつり実行委員会 on 2008年12月19日(金) 14:13
10丁目「STV広場」のテーマは、北の動物家族 森よ永遠(とわ)に(大雪像)
私たちの住む北海道には貴重な北方系の野生動物や固有の高山植物などが生息しています。しかしそれらは今、開発や乱獲、盗掘などの行為によって次々に絶滅の危機に瀕しています。今回の大雪像はSTV創立50周年のキーワード“環境”に即し、森に生きる“動物家族”をテーマに選びました。
今、北海道では森の生き物たちが本来あるべき個体数で暮らせるようにと、保護・研究活動が活発に行なわれています。
オオワシやシマフクロウのために「野生動物復元プロジェクト」を立ち上げた札幌市円山動物園を始め、北海道内の各動物園や研究機関も動き始めました。この大雪像は、親から子へと連なってゆく生き物の命を絶やさず、北海道の豊かな大自然が未来永劫続くようにとの願いを込めて制作します。
東側、市民の広場には、中雪像。テーマは、さっぽろ雪まつり動物園
依然として厳しい状況の北海道。その中で、創意と工夫で大盛況の《とある動物園》のいいところをいただいて、ここ札幌大通に、一週間だけ動物園がやってきました。
ホッキョクグマ・狼・あざらし・ペンギン・・・・などなど
何種類か十二支の動物もいますね。
おや、まねきねこは動物かな???
コチラは残念ながら模型がありません。。。
大通8丁目会場は「雪のHTB広場」!
Posted by さっぽろ雪まつり実行委員会 on 2008年12月19日(金) 14:00
8丁目会場のテーマは、浜松城
大雪像「浜松城」は、徳川家康が遠州(現在の静岡県西部、浜松市周辺)攻略の拠点として、元亀元年(1570年)に前身の引馬城に大々的な改修を加えて築いた城です。
浜松藩政約300年の間に再任を含め25代の城主が誕生しました。城主が後に、老中(6人)や大阪城代(2人)、京都所司代(2人)、寺社奉行(4人)という幕府の要職に登用されたことから、浜松城は「出世城」とも呼ばれました。特に有名な城主は天保の改革で知られ、老中にもなった水野忠邦です。
明治維新以後、城郭は壊され荒廃しましたが、昭和33年に浜松市民の熱意が結実し、野面積みの旧天守台の上に新天守閣が再建されました。昭和34年6月18日には浜松城跡が浜松市の史跡に指定され、現在は城内に資料館が開設されています。
小雪像「若き日の徳川家康公の銅像」(浜松城公園内)を右前に配置しました。徳川家康は、29歳から45歳までの17年間浜松城に在城しました。この期間に浜松城を拠点として幾多の戦(姉川の合戦、三方原合戦、長篠の戦い、小牧・長久手の戦い)が行われました。徳川家康にとってこの期間は、徳川300年の歴史を築く試練の年月でもありました。
大通7丁目会場は「HBC大韓民国広場」!
Posted by さっぽろ雪まつり実行委員会 on 2008年12月19日(金) 13:53
7丁目会場のテーマは、「崇礼門」(スンレムン、すうれいもん)略称:南大門(ナムデムン、なんだいもん)
崇礼門は1398年にソウルの都城を取り囲んでいた城郭の正門として建設されました。
崇礼門は南側の主要な門であり、俗に南大門と呼称されました。
建設後、朝鮮の首都、漢陽(ハニャン)現在のソウルに入るための門の役割を果たしてきました。
1950年に破損はありましたが、復元工事がなされ1962年に国宝第1号に認定されています。
大通5丁目会場は「毎日氷の広場」!
Posted by さっぽろ雪まつり実行委員会 on 2008年12月19日(金) 13:47
5丁目会場は大氷像「箱館奉行所庁舎」
箱館奉行所庁舎は、幕末の箱館開港に伴い、江戸幕府が設置した蝦夷地(えぞち)統治のためのお役所で、元治元年(1864)に竣工しました。五稜郭はその外郭施設として築造されたものです、箱館戦争の際には旧幕府脱走軍の本営地となりましたが、明治4年(1871)に開拓使により奉行所庁舎は解体されました。五稜郭は、大正期から公園として市民に開放され、その後、昭和27年(1954)に北海道唯一の国の特別史跡に指定されました。函館市では、平成18年(2006)に函館奉行所庁舎の復元工事に着手し、平成22年(2010)の完成を予定しています。