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2015年02月22日 の投稿一覧

『黒幕 巨大企業とマスコミがすがった「裏社会の案内人」』伊藤博敏

『黒幕 巨大企業とマスコミがすがった「裏社会の案内人」』伊藤博敏(小学館,2014年11月刊)

 

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2013年4月に逝去した石原俊介氏の半生を描いたノンフィクションです。

 

といっても、世の中の大半の人にとっては、石原俊介?それ、誰?といった存在でしょう(私もそうでした)。石原氏は『現代産業情報』という企業情報を扱った会員制雑誌の発行人でした。『現代産業情報』は月2回発行で、購読料は法人が年間12万円、個人は年間3万6千円。高額ゆえに読者は限られ、発行部数は1000部以下。しかし、高度成長期からバブル崩壊後まで、表には見えないところで、『現代産業情報』と石原氏が演じてきた役割は、日本社会にとって欠かせないものでした。

 

企業情報を扱った会員制雑誌と聞くと、裏の情報を握った人物が半ば脅しに近い形で企業から購読料を得る、といったステレオタイプな形態を想像しがちですが、『現代産業情報』は、そうした限りなく黒に近いグレーな存在とは、一線を画していました。それは、本書の冒頭で描かれている『現在産業情報』500号記念パーティーに集まった人々の顔ぶれをみれば、わかります。大手マスコミの記者、名立たる大企業の現役社員、内閣情報調査室や警視庁の現役や有名OBが出席し、与党の大物政治家から祝電が届けられる。そして、その場には、裏社会の人間も同席している…

 

石原俊介氏は、1942年、群馬県桐生市に生まれ、中学卒業後の1957年、集団就職で上京します。日本が戦後復興から高度成長へと駆け上がる時代、若年労働者が「金の卵」と称された時期に、石原氏は川崎市の企業に入社するも、すぐに組合活動にのめり込み、そこで頭角を現すと共産党に入党、全国から選抜された優秀な若者の一人として19歳のときにソ連へ留学します。日本が60年安保で騒然としていた頃の話です。しかし、ソ連から帰国後、石原氏は共産党を離れ、転職と転居を繰り返す生活を続けます。やがて「情報を売る」というビジネスモデルに接した石原氏は、企業情報を分析して企業から対価を受け取る会社を経営するに至るも、33歳で多額の負債を抱えて夜逃げ。それでも石原氏はまた情報の世界に戻り、任侠右翼や暴力団との接点を作ると、やがて独自の人脈を築き上げ、表の社会と裏の社会の交差点で、存在感を増していくことになります。

 

著者の伊藤博敏氏は、そんな石原氏の晩年を近くで見てきた方です。石原氏が亡くなる直前まで、20年近くにわたって、『現代産業情報』の常連執筆者として活躍してきました。それだけに、《石原氏は「近しい存在」だけに、執筆の際、バランスのとり方が難しかった》(p.317「おわりに」)と苦しかった思いを吐露していますが、石原俊介の最晩年の悲哀=コンプライアンス重視とインターネット隆盛という時代の変化の中で石原俊介の居場所が消えていく=をもストレートに描くなど、けっして石原礼賛ではなく、さりとて石原氏を貶めるでもなく、石原氏をストーリーの中心に据えながらも、石原氏の役回りはあくまでも影の存在であったことを第三者の視点で表現しています。同様に、石原氏が生きてきた時代の「影」の部分=表の社会と裏の社会の関係=も、現代の基準で善悪を論じることなく、その時代の要請として、なぜそうしたことが許されたのか、あるいは必要とされたのか?を、丁寧に説明しています。

 

本書は、石原俊介という人物を描いた本ではあるのですが、戦後日本の政官財の裏面史でもあります。バブル期から平成にかけて発生した数々の経済事件、たとえば平和相銀事件(金屏風)やリクルート事件、大手証券会社による大口顧客への損失補填の発覚、大物総会屋への利益供与事件(第一勧銀のいわゆる「四人組」の改革)、等々、同時代にはよくわからなかった事象の概観や時代背景を理解する手がかりにもなります。

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