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浜本学泰が出来るまで①:「マーケットとの出会い」
Posted by finance on 2014年10月15日(水) 01:34
これまで、証券マンやファンドマネージャーとして多くの相場師とお付き合いさせていただき、心から尊敬する多くの相場師の方々と出会いました。
彼らの考え方や人となりが、皆さんのトレードにもきっと役に立つと思います。
今後は、時間を見つけては、私の実体験としての相場師の話を書いていこうと思っています。
まずはということで、自己紹介を兼ねて、自分の事を書いていこうと思います。
私は伝説の相場師ではありませんが、自己紹介ということでご容赦ください。
まず、私が初めて相場に興味を持ったのは、中学生のころです。
ちょうど、1985年のプラザ合意という事件があっって、その後1年をかけて、ドル円相場が250円から150円に変動しているときでした。
毎日夕方のニュースのトップで、「本日の為替相場は、○○円○○銭となりました」というニュースばかりが報道されていました。
私は子供ながらに、「お金とお金なのになぜ値段が変わるのか?」「なぜ、それがトップニュースになるのか?」という疑問を持ちました。
為替相場の事を知りたい!!と強く思いました。
しかし、周囲に知っている人はいませんでした。
「銀行で聞いてきたら?」と言ってくれる人がいました。
しかし、中学生の私は、銀行に行って質問する勇気がありませんでした。
そこで、自分の周囲の中で最も社会の事を知っている人に聞くことにしました。
それは、、、、、、社会の先生です(笑)。
社会の授業が終わった後、私は先生のところに行って、「最近、ニュースで為替相場の事ばかり言われていますが、あれはどういう仕組みになっているのですか?」と聞きました。
先生の答えは、「では、職員室に来なさい」でした。
職員室に行くと、そこからはお説教が始まりました。
・子供のくせにお金に興味を持つとはとんでもない
・お金に興味を持つ暇があったら勉強しなさい
というような内容だったと思います。
「で、分かりましたが、仕組みを教えてください」といいましたが、「そんなものわからん」といわれてしまいました。
要は自分が分からないから、説教をしたということです。
何というひどいありさま
そんなこともあり、私の疑問は、モンモンとしたまま時が過ぎました。
高校時代は、野球部に入り、為替相場の事など少しも思い出すこともなく、ゴジラ松井との対戦だけが思い出に残ります。あとは、PL学園にコールド勝ちしたこと。
大学に入り、3年生になり、自分の専攻を決める時が来ました。
ここで、自分の人生を左右するかもしれない選択を迫られ、私は自分自身というものをもう一度、分析することにしました。
私は、やはり中学生の時に疑問に思った「外国為替」が気になって仕方ない。
というよりも、マーケットというものが気になって仕方ありませんでした。
原材料を買ってきて、製品を作り、売ると儲かるのは理解できる。
商品を安く仕入れてきて、利益を載せて販売するのも理解できる。
普通の人ができないサービスを提供して対価をもらうことも理解できる。
しかし、変動している相場というもので売ったり買ったりして儲かるという仕組みだけはどうしても理解できないし、何とも言えない魅力を感じてしまったのでした。
そこで、ゼミの専攻は「外国為替」ということになったのでした。
ゼミでは、国際金融論から、外国為替相場決定モデルなど、いろんな学術的な研究や論文を読むことができました。
そして、卒業論文のテーマは、「外国為替決定モデルの有効性の実証研究」ということになりました。
机上の理論である外国為替相場決定モデルといわれている「為替相場算定式」の実際のマーケットによる回帰分析を行うことで、決定モデルの有効性を問うものでありました。
私の論文の結論は、
「机上の理論である外国為替相場決定モデルはいずれも実際のマーケットでは、有効性に疑問がある。有効な結論が出ないのである。実際の相場を当てるには、テクニカル分析など、実体相場を分析する手法の方が有効である」
というものでした。
今思えば、論文としてはひどい結論だったと反省しております。
担当教授からも、「論文としては最低だけど、合格にしてあげるよ。社会人になったらもっとちゃんとやるんだよ」といわれる有様でした。
しかし、この時の結論は、実際のマーケット人生において、正しかったということが実体験として証明されてしまったのでした(笑)。
近いうちに、教授に遭うことになりますので、その辺をアピールしたいと思います。
こうして、私のマーケットのかかわる人生はスタートしたのでした。
・・・次号へ続く。