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浜本学泰が出来るまで②:「就職 マーケットで稼ぐ決意」
Posted by finance on 2014年10月15日(水) 01:46
大学で外国為替を学び、実体経済で使えないということをもどかしく感じながらの就職活動。
「絶対にプロのディーラーか、ファンドマネージャーになってマーケットの仕組みを学びたい」
「そして、相場の世界で大成功したい」
そういう思いがこみ上げました。
ですから、自然と就活先は、銀行、証券、商社などになります。
おもに銀行を回りましたが、当時、外為専門銀行だった東京銀行は、私の思いを正面から受け入れてくれましたが、その合併先の銀行に同じ話をしたところ、
「あのねぇ。銀行員っていうのは、一つの事だけをやりたいと思ってもダメなんだよ。すべての業務をきちんとできるようになって一人前の銀行員になるんだよ」
といわれました。
実は、東京銀行は、私の就職する平成8年の4月に合併することが決まっていました。
合併先の銀行の人に私は、
「そんなことを言っているから、ゼネラリストばかり生まれて、日本の金融機関は世界で競争力がないのではないですか?」
と、「米銀の復活」という本を脇に抱えた私は申しておりました。
その人はかんかんになって怒りましたが、その銀行の人事から電話がかかってきて、
「君の鼻っ柱の強さはとても良いので、次の人事にあってほしい」と連絡がありました。
後ろで東京銀行の方が強烈にプッシュしていたのは間違いないと思います。
4月からの合併を控え、後ろで就職活動の連携をしているようでした。
その両銀行は丁重にお断りをしました。
一方、ディーラーとして大成功するには、外資系に入らないと大きなお金はもらえないと認識しており、外資系の銀行、証券も受けてみることにしました。
受けた感想は、
「英語も話せず、スキルもない自分がいきなり入るところではない」というものでした。
では、どうしたらよいのか?
生まれ故郷の地方銀行からは、「君が来てくれるなら、人事の慣例を無視して、1年目からディーリングルーム勤務を約束する」というお言葉も届いておりました。
すると、ある方からメッセージをいただきました。
「外資系金融機関で活躍している人たちを最も多く輩出している会社を知ってるか?」
というお話しでした。私の耳はダンボになりました。
「それは、野村證券だよ」
「えぇ。あのノルマ営業で有名なあそこですか?」
と驚くのもつかの間、自分の夢のためならあえて厳しい方に進むのが私の選ぶ道。
また、私はマーケットの仕組みを知り、そこで勝負をしたいと思っているので、対象は為替でも株でも債券でも何でもよかったのである。
そして、ご縁あって、「ノルマ証券」に入ることができたのでした。
さあ、3年で実力をつけて、外資系に転職だ。
そういう誠に失礼な思いを胸に、4月の就職を迎えるのでした。
次号に続く。。。。。