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プロフィール

浜本 学泰(はまもと たかやす)

株式会社倭・美 代表取締役
株式会社アンヤット 代表取締役

●生年月日:昭和48年4月4日生まれ (41歳)
●出身地:石川県小松市生まれ
●経歴:
1996年 一橋大学商学部商学科卒業 
         専攻:外国為替、国際金融
  同年 野村證券株式会社入社
2002年 メリルリンチ日本証券株式会社入社
2003年 独立系投資顧問会社入社
2008年 個人投資家としてFX、株式、日経平均先物取引を開始。
2009年頃~  個人向けにトレード手法を解放して、教え始める。
2014年現在 述べ1000名ほどの方にトレードを教え、数多くの自立したトレーダーを 輩出している。

●趣味:旅行、食べ歩き
●座右の銘:即行即止
●好きな言葉:人生の大切なあいうえお 「案」「因」「運」「縁」「恩」


投稿したブログ数:31件

浜本学泰が出来るまで③:「証券マンとしてのスタート」

そんな風にして最初の就職先を選んで、1996年の4月に日本最大手の証券会社に入社いたしました。

入社した同期の数は120名。

同社の歴史上、最も少ない総合職採用数です。

よくも入れました。

さすが、人材の質を誇る会社です。

研修制度が素晴らしく整っております。

入社後は丸2か月間の研修プログラムが用意されておりました。

最初は、いきなり今までの価値観を破壊され、せいも根も尽き果てるところまで追い込まれるところ
から始まります。

そして、へとへとになったところで、会社の理念や自分たちのあるべき姿の像を叩き込まれます。

精も根も尽き果ててますので、いとも簡単にイニシエーションされていきます。

そして、2か月を過ぎたころには、「野村證券の新人」というものが出来上がるのです。

最初の配属は、私の強い本社勤務の希望をよそに、地方の支店でした。

中部地区の人口35万人の都市の支店。

本社でマーケットの仕組みを学び、3年で外資系に転職するつもりだった私はひどく落胆しました。

配属は、身内や友達が誰もいない地域に行かされます。

しかも、研修中に全員の性格診断テストを受けさせられており、まったく性格の違う同期と一緒に
配属されるのです。

同期が一緒にいても、仲良くなれない人を一緒に入れるので、本当に身内が一人もいない状況を作り
その中で、どれだけ成果を出す人物なのかということを徹底的に検証されるのです。

そこで2年半の個人営業を担当しました。

毎日飛び込み営業を繰り返し、一人ひとりお客様を作っていく毎日でした。

時間がたつにつれ「目標」という「ノルマ」はどんどんと増えていき、毎月その数字に追われるという
毎日。

しかし、そうやっているうちに、どんどん力がついていくシステムなのだということは、その当時は
知る由もないのです。

気づいたら、私は中部地区でも頻繁に何かのジャンルで成績優秀者に選ばれるまでになっていました。
一時期だけこういう風に表彰される人はたくさんいるので、特に優秀な営業マンだったわけではないと
思います。

ただ、毎日、成果を出すことに必死に取り組んでいたことだけは間違いありません。

そして、営業だけではなく、証券アナリストの資格試験も最短の2年で取得し、本社に早く行けるように
アピールしていたのでした。

目の前にことを一生懸命やることの大切さや、人と人とのつながりの大切さ、人の温かさなど、今では
私の宝物になるような経験をたくさんさせていただきました。

2年半の支店生活を終え、ようやく本社勤務となりました。

2つ目の配属先は、クオンツリサーチ(定量分析)の部署でした。

ロケットサイエンティストといわれ、1980年代後半から米国の金融市場では、宇宙工学を勉強するような
頭の良い人たちをたくさん採用して、膨大なデータを分析して法則性を見出してモデル化するというような
ことを盛んにしていました。

私の配属先はまさにそういう部署だったのです。

行ってみて、恐ろしいところに来たことがわかりました。

平均学歴が、東京大学の理系の修士課程を修了した人たちです。
PhDを持った人もぞろぞろいます。

私のように、文系の4年制大学を卒業して、支店で営業してたものが行くと、「完全なるバカ扱い」です。
あいつは何をしに来たんだ?というところから始まりました。

最初に言われた仕事は、「じゃ、最初はわからないだろうから、この株のPERを求めるプログラムを書きなお
しておいて。1週間上げるから。余裕だよね?C言語だから簡単だから。」というものでした。

「プ、プログラム?」

私は、子供のころ、本を見ながら、Basicという言語を書いて、画面上に図形を書いて喜んでいたことはあり
ますが、プログラムなんて書いたこともありません。

C言語って聞いたこともない。

1週間、C言語の勉強を必死にして、何度も書き直しても動きません。
プログラムというものは、たった1文字間違えていただけでも正しく動かないのです。

それで1週間がたち、結局、完成させることはできませんでした。

「すみません。1週間必死にやりましたができませんでした。あと少し時間下さい。」

と頼みに行ったら、

「しょうがねえなぁ。こうやってやるんだよ。」

といわれ、その人は15秒ほどで書き直してしまったのです。

完全なる洗礼を受けた形でした。

program

その部署でも必死にプログラムを覚え、何とか仕事ができるようになってきました。
すると、お客さんを担当することになりました。

その時のお客さんは、投資顧問会社のファンドマネージャーの人たちです。

その人たちが実際の運用の時に使う「銘柄選択モデル」「アセットアロケーションモデル」
「リスクモデル」を開発することだったり、ある投資戦略に基づいて「シミュレーション」
を行うことなどでした。

実際の運用現場のファンドマネージャーが使うモデルの開発や、シミュレーションをさせて
いただいたことは大変有意義な経験となりました。

それよりも何よりもファンドマネージャーの人たちと一緒になって問題を考え、どうやった
らパフォーマンスが向上するのかということを真剣に考え、想定して、検証するというくり
返しでした。

この2年間で私の運用に関する知識は向上し、データを扱うことにもなれ、私の開発した
自動売買モデルや、銘柄選択モデル、為替の比率を決めるモデルなどは、今でも実際の
運用現場で使われていると思います。

でも、さすがに、1日一言も会話のないような静かな部署に2年間もいると息が詰まってきます。

ということで、またもや異動希望をだし、もっとフロントに出たいということを希望しました。

すると、ファンドマネージャーがお客さんである営業部隊へと異動になりました。

支店での営業経験はありましたが、まさかお客さんが全員ファンドマネージャーの営業マンに
なるとは夢にも思わず、私のディーラーとかトレーダーになる夢とは近づいているのか離れて
いるのかわからないままに異動となるのでした。

そんなすごい営業マンばかりがいる部署への異動。

不安ばかりが募りましたが、実はここからが私の人生に大きな変化が生まれてくることは、
この時は知る由もありませんでした。

以後、次号に続く。

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