アナログ虎爺郎の初ブログ
Posted by winterpj on 2013年1月21日(月) 17:37
生まれて初めて書くブログ!
緊張して何を書きだすかわからないまま、真っ白になりつつある頭の中を整理しつつ
(もっとも外側はすでに取り返しのつかないほど白いのですが)汗だくでキーをたたいています。
自分は昭和25年、まだ白黒テレビもなくラジオが田舎と都会をつなぐアイテムだったころ空知の炭鉱町で生まれました。なぜこんな昔の自分のところから話を始めるかというと、気がついた人がこの動物園の中に何人いるかわかりませんが、そうです、円山動物園が産声をあげた頃なんですよ。自分の年齢は動物園の年齢なんですね。感激する話じゃありませんか。
ま、だからといって、自分が生まれおちたことと動物園の誕生とは何も関係ないのは当り前のことですが。(そこに気がついてちょっとテンション下がりました)
言い遅れましたが、私は経営管理課管理係の三上某、2年前に定年、今はその後の再任用職員として、幸いにも現役の時と同じ所属で同じ勤務についています。
昭和25年は寅年、で名前の方は虎爺郎と言います。冗談です。(なるほど動物園に虎いるもんなあ、って即信じた人には敬意を表します。)
動物園での経歴は今年で25年、自分より若い職員でもそれくらいの経歴の人は結構いますが、やはり年長者という配慮もあってかなかなかの優遇ぶりで、恐縮することも多々。親心のつもりでふり上げたこぶしも行き先を失うことがしばしば。口うるさいのは年のせい、と半ば優しく受け止めてあげようという孝行息子のまなざしさえ感じる今日この頃ではあります。(う~ん、やっぱりテンション下がってるぅ。)
さてさて話はすっかり自分のことばっか、それも視線がどんどん下がってますが、
今の円山動物園をみると、昔の、自分が赴任した頃の円山動物園とは大きく変わっていることに驚かされます。動物舎、施設の整備が昔とは比較にならないほどのスピードで進み、円山動物園の注目度を飛躍的に伸ばしているのでしょう。同年齢の入園者が様変わりした円山動物園に驚いている場面に出会うことも多くあります。
園内を歩いてふと気がついてみると、すでに新設されて目になじんでいる動物舎の
場所に建っていた動物舎が何だったのか、なかなか思い出せないことがよくあります。変わってきた円山動物園が、時間の経過の中であたかも以前からそうであったかのようにすり替わっているという発見に驚いたのを覚えています。
経営管理課管理係の自分の仕事。昔も今もそしてこれからも、「物と時間と人を管理すること」と思っています。毎日の業務は常にそのことを念頭においたものでありたいと考えています。あと数年か、円山動物園に籍をおけるのは、なんて思いは振り払って25年生まれの虎爺郎はこころの中で指差し呼称をし、一日出たり入ったりを繰り返して勤務を終えた作業場に鍵をかけて毎日の家路についています。
(アナログの時代に胡坐をかき、気がついたらデジタルに尻たたかれてブログなんて書いている25年生まれ。遅すぎた誘惑にとりつかれそうな気がしないでも…てか)