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天下分け目の決戦地で妄想膨らむ~岐阜旅13


東海近畿地方には、名前だけで想像が膨らんで
ワクワクするところがいっぱいある。
「関ヶ原」駅。
言わずと知れた天下分け目の決戦の地だ。

仕事が終わってから大急ぎで
電車に乗り込んでやってきた!


暗くなるまでに行ける所まで行こう!と歩き始める。
早速、旗が見える。「東首塚」。この地で命を落とした兵士たちを埋葬しているそう。
その横には、戦いの火ぶたを切った東軍の「松平忠吉・井伊直政の陣跡」が。


5分くらい歩いて行くと、東軍の「田中吉政陣跡」が。このキャラよくわからん。
そして、東軍の「床几場」(合戦後、首実検を行った場所)であり、
歴史的に有名な、徳川家康が小早川秀秋に向かって発砲したのが、ここ。
「徳川家康 最後陣跡」でもあります。





さらに歩を進めると、
石田三成が陣を構えた
笹尾山のすぐ手前に「決戦地」の碑が。

確かに笹尾山は走れば1分くらいか。
段々と各陣営の位置関係が頭の中で
描けるようになってきて、
決戦の妄想が大きくなっていく。






その笹尾山のふもとには、
西軍の石田三成の片腕・島左近
旗がはためく。

笹尾山を登る。といってもちょっと小高い丘くらい。
石田三成陣跡は展望スペースが出来ている。



左前方には、東軍・徳川家康が最初に人を構えた桃配山が見える。
意外と近い。これなら、敵の動きが一望できる。

右手には、西軍の各隊が地形を生かして配置されているのがよくわかる。
奥には、小早川秀秋が陣取った松尾山が見えるので、
裏切ってこちらに向かって攻めてくる様子がきっと手に取るようにわかったんでしょうね。



さてさて、まだ日の入りまで少し時間がある。もう少し回れそうだ。
西軍の「島津義弘陣跡」
ここから家康本陣を強行突破したことで有名だが、
もし島津が滅んでいたら倒幕の要であった薩摩藩はなく、歴史は変わっていたかも。

その島津の陣と目と鼻の先に西軍の「小西行長陣跡」があり、
ここが「開戦地」となったところだそうです。

もう少し見れるかと思ったけど、日が落ちて一気に辺りは暗くなってきて、
これは迷子になりそうだ、とここで関ヶ原巡りは終了。

関ヶ原のスケールを肌で感じることができたので、
今後、ドラマなどで関ヶ原の戦を見るときにスゴクイメージしやすくなった。
非常に満足度の高い経験をしました。


岐阜へ戻る電車は、1時間に2~3本しかなく、無人の関ヶ原駅で待つこと30分弱。
(帰りの時刻表を確認してから行動しましょう! (ToT)/ )


☆おまけ☆
ようやく岐阜に戻ってきたら、出迎えてくれたのは例の金ピカ像
夜はライトアップされて、一段と金ピカ度を増して、まばゆいばかりの信長公でした。

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