札幌100マイル

め・ぐすた~

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岐阜土産といえば枝豆まんじゅう!?~岐阜旅15・Final

「札幌100マイル」の枠をはみ出して、
岐阜話を書き続けていたら、いつの間にやら1週間が経過し、今日で第15弾。
長編スペクタクルになってしまいました (-。-)y-゜゜゜

いつもいつも、北海道以外の話を書くときに、
読者のみなさんから、
「こんなネタなら、どこか別のところで書け!」
と、怒られそうだとビクビクしながら、
そしてそれをアクセスランキングの大幅ダウンでヒシヒシと感じながらも
ダラダラ書き綴ってるわけですが、
いよいよ...
FINAL! FINAL! FINAL! FINAL! FINAL! FINAL!



旅の終わりといえば、やはり土産。
岐阜の土産コーナーで幅を利かせているのは、
ご当地の英雄、信長モノと、
特産品の鮎と枝豆にひっかけた和菓子類。


「枝豆まんじゅう」は、あまりにもわかりやす~いネーミングのため、
ちょっと小バカにしていたが、食べてビックリ。
ごめんなさい。メチャメチャ実力派でした。
ずんだ餅の味、といえばわかる方も多いのでは。
かなりイケます!

もっとたくさん土産として買ってくればよかった、、、と反省。


一口ういろは、白栗入り、抹茶、さくら、あずき、季節の香(春は枝豆)の
5つの味が楽しめるので、オトクで手頃な品。
名古屋のイメージが強いのですが、これは岐阜で製造されてるモノ。



コンビニでご当地モノはないかと探したら、
名古屋ではありますが、「世界の山ちゃん 幻の手羽先味せん
というのがあり、購入。

かなりコショウが効いていて、3枚くらい食べたら、舌がヒリヒリする美味さ。
なかなかのインパクトがあるスナック菓子です。


以上、地味で無色なイメージだった岐阜が、
しっかりした色と歴史の重みを持って印象付けられた
2日間の内容の濃い岐阜旅でしたが、これにて、おしま~い (ToT)/~~~

鶏ちゃん、飛騨牛ステーキ、柳ヶ瀬ラーメン~岐阜旅14



岐阜で名物を
とりあえずいっぱい食べたい。

どこかいい居酒屋はないか
と探していたら、
ステキなところに
巡り合いました。
居酒屋 飛騨天狗 勝行



高山名物の「特製鶏ちゃん
鶏の味噌炒めのような感じかな。美味しいですよ。


飛騨牛ステーキは、見るからに美味そうで、食べてもちろん美味い!


岐阜の地酒も美味い!と聞いていたので、
珍しくビールのあとは、日本酒。飛騨乃やんちゃ酒。


ササミたたきも美味かったね~。
キムチは岐阜名物らしいので、長芋キムチをいただき。


地元産の椎茸の肉詰め、レンコンはさみ揚げ、と創作料理をたいらげたあとに、、、


シメはオリジナルの柳ヶ瀬ラーメン。
高山ラーメンに、岐阜名産の枝豆が入っている!


30代後半の店長が一人で切り盛りしていて、雰囲気もいい。
岐阜に住んでいたら常連客になってしまいそうなオススメの居酒屋です。

天下分け目の決戦地で妄想膨らむ~岐阜旅13


東海近畿地方には、名前だけで想像が膨らんで
ワクワクするところがいっぱいある。
「関ヶ原」駅。
言わずと知れた天下分け目の決戦の地だ。

仕事が終わってから大急ぎで
電車に乗り込んでやってきた!


暗くなるまでに行ける所まで行こう!と歩き始める。
早速、旗が見える。「東首塚」。この地で命を落とした兵士たちを埋葬しているそう。
その横には、戦いの火ぶたを切った東軍の「松平忠吉・井伊直政の陣跡」が。


5分くらい歩いて行くと、東軍の「田中吉政陣跡」が。このキャラよくわからん。
そして、東軍の「床几場」(合戦後、首実検を行った場所)であり、
歴史的に有名な、徳川家康が小早川秀秋に向かって発砲したのが、ここ。
「徳川家康 最後陣跡」でもあります。





さらに歩を進めると、
石田三成が陣を構えた
笹尾山のすぐ手前に「決戦地」の碑が。

確かに笹尾山は走れば1分くらいか。
段々と各陣営の位置関係が頭の中で
描けるようになってきて、
決戦の妄想が大きくなっていく。






その笹尾山のふもとには、
西軍の石田三成の片腕・島左近
旗がはためく。

笹尾山を登る。といってもちょっと小高い丘くらい。
石田三成陣跡は展望スペースが出来ている。



左前方には、東軍・徳川家康が最初に人を構えた桃配山が見える。
意外と近い。これなら、敵の動きが一望できる。

右手には、西軍の各隊が地形を生かして配置されているのがよくわかる。
奥には、小早川秀秋が陣取った松尾山が見えるので、
裏切ってこちらに向かって攻めてくる様子がきっと手に取るようにわかったんでしょうね。



さてさて、まだ日の入りまで少し時間がある。もう少し回れそうだ。
西軍の「島津義弘陣跡」
ここから家康本陣を強行突破したことで有名だが、
もし島津が滅んでいたら倒幕の要であった薩摩藩はなく、歴史は変わっていたかも。

その島津の陣と目と鼻の先に西軍の「小西行長陣跡」があり、
ここが「開戦地」となったところだそうです。

もう少し見れるかと思ったけど、日が落ちて一気に辺りは暗くなってきて、
これは迷子になりそうだ、とここで関ヶ原巡りは終了。

関ヶ原のスケールを肌で感じることができたので、
今後、ドラマなどで関ヶ原の戦を見るときにスゴクイメージしやすくなった。
非常に満足度の高い経験をしました。


岐阜へ戻る電車は、1時間に2~3本しかなく、無人の関ヶ原駅で待つこと30分弱。
(帰りの時刻表を確認してから行動しましょう! (ToT)/ )


☆おまけ☆
ようやく岐阜に戻ってきたら、出迎えてくれたのは例の金ピカ像
夜はライトアップされて、一段と金ピカ度を増して、まばゆいばかりの信長公でした。

20110530-18.jpg

岐阜城から信長の野望にひたる~岐阜旅12



長良川のすぐ脇からボッコリと
隆起している金華山。
いかにも難攻不落な山です。
その頂にそびえるのが岐阜城。


標高329mの金華山山頂へは、ロープウェイで3分。
藻岩山より200mほど低い。

でも、火打石でできている岩肌がそれだけでも絵になるし、
国有林なので手が加えられていない木々の自然には、
庭園がいくつも集まったかのような美しさがあります。
途中に見える三重の塔が頭だけ見えるのもなんとも趣がある。



ロープウェイ山頂駅から、岐阜城まではまた10分弱急な坂を歩く。
本当に藻岩山に似ているなぁと思う。
年配の方にはかなりキツイ勾配を歩いて行くと、見えてきましたよ、岐阜城。





岐阜城は昭和31年に
鉄筋コンクリートで再建されたので、
味気ないといえば味気ない。
でも、中は資料が展示されていて、
甲冑や天下布武の印(レプリカ)など、
それなりに見応えがある。



天守閣から見る景色は見渡す限りの平野。
信長が天下を目指す気持ちがわかりますね。




そして、今、金華山のふもとの岐阜公園内では、
信長の居館跡の発掘調査が行われており、
あと数年もしたら、新たな発見とともに観光名所に
なってるかもしれませんよ。

岐阜公園に板垣退助、明治大帝、山内一豊~岐阜旅11

岐阜公園には、いくつかの銅像や碑があります。

板垣退助!なぜ彼の銅像が?

なんと岐阜での講演の後、この銅像のある場所で、刺客に襲われたそうです。
「板垣死すとも自由は死なず」という名言はここで残されたんですね。

明治大帝

明治天皇ではなく、明治大帝と記されていました。
でも、なぜここに建立されているかはよくわかりません。

山内一豊と千代 婚礼の地モニュメント

この二人が婚礼したのが岐阜らしく、
NHKの大河ドラマ「功名が辻」の放送にちなんで、設置されたそうです。
あくまでも主役は山内一豊ではなく、千代。。。
大河ドラマがなかったら、きっと建てられなかったんでしょうね。

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